東京地方裁判所 昭和56年(手ワ)937号 判決 1982年12月13日
各事件原告 株式会社 日証
右代表者代表取締役 内片陸郎
右訴訟代理人弁護士 成毛由和
同(但し、昭和五五年(手ワ)第一二七九号、同第一六九三号事件についてのみ。) 立見廣志
同(但し、昭和五六年(手ワ)第九三七号事件についてのみ。) 佐々木和美
各事件被告 オーツカ株式会社
右代表者代表取締役 宮瀬豊
右訴訟代理人弁護士 柏木薫
同 清塚勝久
同 山下清兵衛
同 池田昭
同 小川憲久
同 松浦康治
主文
一 原告の主位的請求を棄却する。
二 被告は、原告に対し、金三四六一万四六九三円及びうち金一四八六万八四八一円に対する昭和五六年六月六日から、うち金一一五一万一八九六円に対する昭和五六年一一月一七日から、うち金八二三万四三一六円に対する昭和五七年四月二〇日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告のその余の予備的請求を棄却する。
四 訴訟費用はこれを一〇分し、その七を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
五 この判決は、主文第二項に限り、仮に執行することができる。
事実
《省略》
理由
(主位的請求について、)
一 請求の原因1、3の(一)の各事実及び同2の事実のうち別紙約束手形目録(22)記載の約束手形を除く本件各手形が各支払呈示期間内に支払のため支払場所に呈示されたが支払を拒絶されたことは、当事者間に争いがない。
二 同3の(二)の事実(井下の手形裏書権限)について検討する。本件の事実関係は、第三項において認定するとおりであって、本件全証拠によっても被告が井下に対して被告を代理して手形の裏書をする権限を与えたことを認めることはできないから、井下の手形裏書権限を前提とする原告の主張は、その余の事実について判断するまでもなく、理由がない。
三 第一項記載の争いのない事実、《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。
1 被告の概要
被告は、撚糸の製造販売などを目的とする資本金一億円の株式会社で、三井物産株式会社及び旭化成工業株式会社がそれぞれ発行済株式総数の四割ずつを保有しており、役員従業員総勢約五〇名を擁し、本店(以下「本社」ともいう。)を愛知県一宮市に、支店を大阪に(但し支店登記はしていない。)、営業所を東京など数か所に有し、意匠撚糸を製造してそれをニッター(セーター等の製造メーカー)に販売することを主な営業内容とし、月商は平均約五億円である。
2 被告東京営業所の組織及び業務
被告東京営業所は、建物を賃借して営業所の事務所とし、倉庫施設はなく在庫商品は一切保管しておらず、昭和四九年ころから同五五年二月までの間は、所長である井下と井下の補助作業及び雑用をする女子事務員の二名で構成されており、被告東京営業所の業務はすべて井下の業務でもあった。井下は、昭和四一年に被告に入社して以来一貫して被告東京営業所で営業関係の仕事をし、昭和四八年四月ころ被告東京営業所の所長となったものである。被告東京営業所の主な業務は、後記認定にかかる被告製品の販売業務及び左右取引業務であり、被告の東京営業所関係の月商は平均約六〇〇〇万円である。井下には被告東京営業所の人事及び給与についての決定権限がなく、これらはいずれも本社の担当者が決定していた。被告は、被告東京営業所の維持費用を取り扱う目的で大和銀行堀留支店に被告東京営業所名義の当座預金口座を持ち、被告本社は営業所維持費用として毎月七〇万円を被告東京営業所の右口座に送金し、銀行に「オーツカ株式会社東京営業所所長井下雅夫」などと刻した記名判及び「オーツカ株式会社東京営業所所長」などと刻した印章(いずれも井下が本件各手形に押捺したものと同一のものである。)の各印影を届け出て小切手帳の交付を受け(手形帳の交付は受けていない。)、井下に右記名判、印章及び小切手帳を保管させ、被告東京営業所所長井下名義で営業所維持費用支払のためないし右口座から右費用を支払うのに必要な現金を引き出すために、小切手を振り出す権限を与え、家賃の支払については井下が小切手を家主に対して振出交付することにより、電話代、光熱費などの支払については右口座からの自動支払により、その余の営業所維持のための小口経費については井下が小切手を銀行宛に振り出して右口座から引き出した現金を用いることにより、営業所維持費用の支払がなされていた。
しかし、被告は、井下に対して、被告を代理して手形行為をする権限や取引先に対して融資を行なう権限は与えておらず、また、右口座や小切手を営業所維持以外の目的のために用いることを禁じていた。
3 被告東京営業所における被告製品販売業務及び左右取引業務
被告では、月に一回本社で販売会議が開かれ、井下を含む各営業所所長に「被告製品の販売価格の上限、下限」及び「各売先に対する与信限度(被告製品の販売及び後記左右取引の両者を合わせたもの)」について具体的な数字による指示がなされ、被告製品の在庫高についての連絡がなされ、また、井下は、適宜本社と連絡して在庫高を知り、取引先から注文を受けると、注文の内容(目的商品、買入申込数量、納期、買入申込価格、売買代金支払条件、商品の出荷先など)について販売会議において指示された価格並びに与信限度及び自己の知りうる最新の在庫高の情報の観点から検討し、注文の内容がこれらの条件から大きく外れ売買契約成立の余地のないものは井下限りで申込を断わって申込の内容は本社に伝えず、注文の内容がこれらの条件からやや外れるものは、すぐに承諾はせずに申込人との折衝を続ける一方、申込の内容を本社に連絡し取締役営業本部長大塚善吉に諾否の判断を仰ぎ、注文の内容が価格及び与信限度とも販売会議における指示の範囲内におさまり在庫高も十分にあると思われるものは、その場で井下が申込を承諾する旨の返事をしたうえで申込の内容を本社に連絡し、本社は右連絡により本社から申込者指定の出荷先に商品を出荷する(井下に対する注文の八割五分ないし九割はこのように何ら問題を生ずることなく出荷される。)が、井下がその場で申込を承諾しても被告全体としての在庫量及び在庫商品運用上の都合などの理由で申込のとおり商品を出荷することができないことがあり、この場合は、本社がその旨を井下に連絡し、同人が申込者に対して申込を断わる旨伝えていた。
被告製品の販売代金は原則として手形(例外的に小切手。)による支払を受け、現金による支払はなかった。右手形等は井下または女性事務員が仮領収証(ごく例外的に仮領収証と引換では手形を交付してくれない大商社に対しては本領収証。)と引換えに受領し、これをそのまま本社へ送付し、本社は手形の送付を受けると本領収証を取引先に送付することになっていた。回収した手形等は全て本社において割引または取立にまわすことになっており、被告東京営業所において割引などの譲渡及び取立をすることは許されていなかった。
被告は、被告の売先から被告製品以外の製品を仕入れたいという要望があるとき、この要望を満たすため被告がその製品を市中で捜して仕入れたうえで売先へ売渡すという取引を行なっており、右仕入及び販売を総称して左右取引と名付けている。被告東京営業所を介して行なう左右取引は、井下が売先に対する前記与信限度、被告の利巾などを考慮して買い注文と売り注文を取りまとめたうえでその取引の内容を本社に報告して許可を求め、取締役営業本部長大塚善吉が売先に対する前記与信限度、被告の利巾、仕入先に対する被告振出手形の満期などの点を考慮したうえで諾否を決定していた(この段階で井下が取りまとめた取引の二割前後が承認されなかった。)。左右取引が許可されると、目的商品は被告の仕入先から被告を経由せずに被告の売先に直送され、被告の仕入先に対する代金支払は仕入先の請求により本社が代表取締役名義の手形を振り出して原則として本社が仕入先に直接交付することにより行ない、被告の売先からの代金回収は被告製品の販売の場合と同様の方法でなされていた。被告東京営業所が独自の仕入れをして在庫商品を持つことは許されておらず、また、被告東京営業所が左右取引以外に被告の仕入業務に関与することはなかった。
このように、被告東京営業所ないしその所長たる井下は、被告製品の販売や左右取引について注文を被告本社に取り次ぐだけで、契約を締結する最終的な権限は持っておらず、右権限を持っているのは本社勤務の取締役営業本部長大塚善吉であった。しかし、井下は、取引先に対して、井下に契約締結権限がなく取引には本社の取締役の許可が必要であることや、価格並びに与信限度について本社から指示があること並びにその指示の内容及び被告製品の在庫高など被告内部の事情を告げたことはなかった。
那須産業は、被告が東京営業所を介して被告製品を売り渡していた被告の取引先であり、その代金支払のために自己振出手形を井下に交付していたもので、那須産業の代表取締役である訴外若森清は、ビートルの取締役も兼ねており、ビートルの代表取締役である若森一市とは兄弟の関係にあったもので、ビートル関係者も那須産業振出手形を井下が受領することを知っていた。
4 井下の裏書行為
ビートルは、その前身である訴外有限会社ビートルの営業を若森一市が引き継いで昭和五一年二月一七日に設立登記された資本金五〇〇万円の株式会社であり、被告との間で正規の取引はしていなかった。訴外有限会社ビートルは、資金繰りが苦しかったため、昭和五〇年ころから、井下と共謀して、被告には内密に井下の被告東京営業所所長という地位を利用したりして、種々の資金繰りのための操作を行なっていた。そして、ビートルは、訴外有限会社ビートルの営業を引き継いだ後も資金繰りが好転しなかったため、引き続いて設立時から昭和五五年二月まで継続的に、被告には内密に井下と共謀して資金繰りのための操作を行なっていた。右資金繰り操作は、大要、次のようなものであった。
(一) ビートルが被告に対して、ついで被告が井下らと意を通じた第三者に対して順次商品を売却するという架空の左右取引を立案し、井下が被告本社に対してこの左右取引を架空でないかの如く装って報告し、被告本社の許可を受け、よって、右代金支払のため被告本社をして被告代表者振出名義の約束手形をビートル宛に振り出させ、しかも、例外的に被告本社にはこの手形を直接ビートルには交付させずに井下が被告本社から受け取ってビートルに交付し、ビートルがこの手形を金融機関等で割り引いて現金を得る。一方、井下らと意を通じた第三者は、被告本社宛に約束手形を振り出していた。
(二) 井下が、その職務上被告の販売先から販売代金の支払を受けるために回収した約束手形またはビートルが所持している第三者振出手形の裏書欄に、小切手振出のために用いる前記記名判及び印章を押捺して被告東京営業所所長井下名義の裏書をしたうえで、これをビートルに交付し、同社がこの手形を金融機関で割り引いて現金を得る。
(三) ビートルが、その所持している手形の割引を井下に依頼し、井下がこの手形を知り合いの繊維関係の業者などで割り引いて現金化し、この現金をビートルに交付する。
この操作により、ビートルは、実質的に被告から年間一億円以上にも及ぶ信用供与を受ける結果となっていた。本件各手形は、右(二)の方法によって井下が裏書した多数の手形のうちの一部である。
5 原告の本件各手形取得の経緯
原告は、手形割引業者であり、被告及びビートルの外形的な営業の概要は知っていたが、被告との直接の取引関係はなかった。原告は、昭和五〇年一二月から同五五年二月までの間継続的に、ビートルから右4の(一)記載の手形を含む被告代表者振出名義の手形約一二〇通及び同(二)記載の被告東京営業所所長井下名義の裏書のある手形約八五〇通(本件各手形を含む。)を、被告名義の手形行為に信用の基礎をおいて割り引いた。右割引手形のうち、被告東京営業所所長井下名義の裏書のある手形の手形金額の合計は約一〇億円であり、そのうち、昭和五一年までに割り引いたものが約五〇〇〇万円、昭和五二年に割り引いたものが約一億六〇〇〇万円、昭和五三年に割り引いたものが約一億八〇〇〇万円、昭和五四年に割り引いたものが約五億二〇〇〇万円(うち一月から六月までが約一億九〇〇〇万円、七月が約四〇〇〇万円、八月が約五〇〇〇万円、九月が約四〇〇〇万円、一〇月が約七〇〇〇万円、一一月が約六〇〇〇万円、一二月が約七〇〇〇万円で以上七月から一二月までの合計額が約三億三〇〇〇万円。)、昭和五五年一月に割り引いたものが約五〇〇〇万円、同年二月に割り引いたものが約四〇〇〇万円である。
原告は、右被告代表者振出名義の手形については、これを初めて割り引いた昭和五〇年一二月一八日及びその後の昭和五一年七月一九日に被告本社勤務の経理課長鬼頭藤雄に問い合わせ、同人から、「振り出したことはまちがいない。」旨の回答を受けた。しかし、原告は、原告内部において営業所所長名義の手形行為に信用をおいて手形割引を行なうときは必ずその手形行為権限について調査するように指導がなされていたにもかかわらず、被告東京営業所所長井下名義の裏書のある手形については、興信所等の資料を閲読して被告の信用及び支払能力などを調査して被告が信用のある会社であることを確認しただけで、その他には何らの調査もせずに、井下に被告を代理して手形の裏書行為をする権限があるものと考えて割引を開始し、その後昭和五五年二月に至るまで、本件各手形を含む被告東京営業所所長井下名義の裏書のある手形について全く調査をしなかった。右手形割引継続中に原告がビートルから割り引いた被告東京営業所所長井下名義の裏書のある手形が不渡になったため原告が井下に対して不渡の事実を告げて手形の買戻を要求したことが二、三回あったが、その時、井下は、原告に対して右要求に応じる旨を告げるとともに、ビートルに指示して同社の資金を原告に交付させた。その際、井下の手形裏書権限については何ら問題とならず、原告は、被告がその正規の裏書手形について不渡事故が起こったことを知り、それゆえ買戻に応じたものと信じたが、右買戻は、被告に秘して隠密裡に行なわれたものであった。
その後、原告は、昭和五四年九月から同五五年二月までの間に、本件各手形を、井下が適法に被告を代理して裏書したものと信じて、いずれも、原告主張の日に、原告主張の割引金額をビートルに交付して割り引いた。
以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》
四 表見支配人の主張について判断する。
1 被告が井下に被告東京営業所所長という名称を附していたことは当事者間に争いがない。
2 そこで、被告東京営業所が商法上の営業所としての実質を備えていたか否かにつき検討する。被告東京営業所の主要な業務である被告製品の販売業務及び左右取引業務のいずれについても契約締結についての最終的な権限は被告東京営業所にはなく被告取締役営業本部長大塚善吉にあったのであり、被告東京営業所はこれらの業務については主として売買の申込の取次及び代金支払のための手形などの回収並びに本社への送付をする機関にすぎなかったこと、被告東京営業所は、倉庫設備もなく、独自の権限で自由に販売できる在庫商品を有しておらず商品の発送業務も全て被告本社が行なっており、取引先に対して融資を行なう権限も持っておらず、経理についても被告本社が決定し被告東京営業所に送金する金額の範囲内で営業所の維持費用を支払う権限を有するにすぎず、それ以上の被告本社から独立した営業所の経理の存在は認められず、営業所内の人事及び従業員の給与についての権限もないことを考慮すれば、被告東京営業所は商法上の営業所としての実質を備えていたということはできない。
なお、前認定の事実によれば、被告東京営業所は、被告本社の被告製品の販売価格及び売先に対する与信限度についての指示の範囲内で被告製品を販売する権限を有し、この意味で被告本社から独立した営業活動を行なっていたと解されなくもないが、被告本社の右指示の範囲内で被告東京営業所が取りまとめて被告本社に報告した被告製品販売の取引であっても、被告本社が被告全体としての在庫量及び在庫商品の運用上の都合を理由に右取引を不許可にすることがときどきあったこと、被告製品の在庫は全て被告本社が管理しており販売契約に基づく商品の発送は全て被告本社が行なっていたことを併せ考慮すれば、被告東京営業所が独自の権限に基づいて被告本社から独立した営業活動を行なっていたということはできない。
3 以上によれば、原告の表見支配人の主張は理由がない。
(予備的請求について)
五 井下が本件各手形に裏書した当時被告の従業員であったこと及び井下が権限がないのに被告を代理して本件各手形の裏書をしたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実及び第三項において認定した事実によれば、被告の被用者である井下は、故意に、本件各手形の裏書の無権代理という違法な行為をしたものというべきである。
六 そこで、第三項において認定した事実に基づいて、井下の右行為の職務執行該当性について検討する。
井下は被告を代理して手形行為をする権限を持たず、また、被告の手形の作成事務に携っておらず、手形の交付事務にも原則として携っていなかったこと、被告東京営業所の主たる業務は被告製品の販売及び左右取引についての取引先からの注文を本社に取り次ぐこと及び取引先が売掛代金の支払のために被告に対して譲渡する手形を受領しこれを被告本社に送付することに限られ、井下はこれらの事項について被告から代理権を授与されておらず同人の業務内容は右の限度にとどまるものであること、被告東京営業所ないしその所長としての井下に支払の必要が生じるのは営業所維持費用の支払に限られ、それ以外の支払の必要は全くなく、被告東京営業所が原料の仕入業務や取引先に対する融資などの信用供与の業務に関与しておらず、同営業所が仕入に関与する左右取引業務についてもその仕入代金は被告本社において被告代表者名義の約束手形を振り出し、原則として被告本社が仕入先に直接交付することにより支払っていたこと、被告東京営業所ないしその所長としての井下は、売掛代金を手形で回収すると、被告東京営業所において取立ないし割引などの譲渡をすることなく手形を直ちに被告本社に送付し、被告本社において領収証の発行及び手形の取立ないし割引をすることになっていたこと、被告の資金繰りなどの経理業務は被告東京営業所では行なっておらず、井下は本社からの月七〇万円の送金の範囲内で営業所維持経費をやりくりするにすぎないこと、井下は被告を代理して小切手を振り出す権限を有していたが、その目的は営業所維持費用支払のために限られ、しかも現実に預金の引出し以外の目的のために小切手が振り出されたのは家賃の支払のためだけであったこと、本件各手形はいずれもビートルが金融機関で割り引くにあたり実質的にビートルのために保証をする趣旨で裏書をしたものであることなど、井下の行為と同人の職務の関連性がうすいことを窺わせる事実も認められる。
しかし、被告は、被告東京営業所名義の当座預金口座を開設し、銀行に「オーツカ株式会社東京営業所所長井下雅夫」などと刻した記名判及び「オーツカ株式会社東京営業所所長」などと刻した印章の各印影を届け出て小切手帳の交付を受け、井下に右記名判、印章及び小切手帳を保管させて同人がこれらを自由に使用できる状況におき、同人に対して営業所維持費用に関する小切手を振り出す権限を授与し、井下は、現実に右記名判、印章及び小切手帳を保管し、これらを用いて家賃の支払や預金の引き出しなどのために小切手を振り出していたものであり、かつ、井下は右記名判及び印章を用いて本件各手形に裏書をしたものであること、小切手振出の目的が営業所維持費用の支払のために限られしかも現実に預金の引出以外の目的のために小切手が振り出されたのは家賃の支払の場合だけでありまた一般的に小切手が支払の用具にすぎず手形とはその経済的性質を異にするとしても、小切手行為自体はその原因関係とは無関係に有効に成立するものであり、かつ、手形行為をなす業務と小切手行為をなす業務が現実の経済活動の上で密接な関連を有するものであることは論を俟たないところであること、一般に手形裏書行為は手形用紙を自ら調達することを必要とせず小切手振出用の記名判及び印章があれば容易にこれをなしうること、井下の主要な業務内容には取引先から代金支払のために交付された手形を受領することが含まれており、かつ被告の東京営業所関係の取引先やビートルの代表取締役若森一市及び取締役若森清は井下の右手形回収業務を知っていたこと、井下の本件各手形裏書行為は、前記認定にかかるビートルのための資金繰り操作の一環としてなされたものであり、右資金繰り操作においては井下はおびただしい数の手形に被告東京営業所所長井下名義の裏書をしてビートルに交付していたものであるが、その中には、井下が被告東京営業所所長の正規の職務として被告の取引先から回収した手形を流用して右裏書をしたものも存在すること、井下の主要な業務の中には左右取引のように仕入に関するものも含まれていたこと、井下は、仕入代金支払のために被告代表者振出名義の手形を仕入先に交付することもあったこと、これら井下の業務を第三者から見ると、あたかも井下に被告東京営業所関係の被告製品の販売及び左右取引について自由に販売価格、販売数量を決定する権限があり、これに基づいて同人が被告東京営業所における業務を執行していたかのような外観を呈していたことを総合すると、井下の行為と同人の職務の関連性がうすいことを推認させる前記の諸事情を考慮しても、井下の本件各手形裏書行為は、同人の職務と密接な関連を有し、かつ、同人が本件におけるような手形の裏書をすることも非常に容易であったものと推認されるから、井下の行為は被告の事業の執行につきなされたものというべきである。
七 原告の損害について検討する。
1 原告が、本件各手形を、いずれも井下が適法に被告を代理して裏書したものと信じて、それぞれ原告主張の日に原告主張の割引金をビートルに交付して割り引いたものであることは前認定のとおりであるから、原告は、被告の従業員井下の被告の事業の執行についての故意による手形の裏書の無権代理行為を原因として、原告主張の日に原告主張の割引金と同額の損害を被ったものというべきである。
2 原告は、手形金額と割引金額の差額を、得べかりし利益の喪失として原告の被った損害であると主張する。
手形所持人は、手形行為が無権代理である以上、もともと本人として表示された者に対して何ら手形債権を取得しないものであり、満期に支払を受けられるという手形所持人の期待は法的保護に値しない単なる事実上の期待にすぎないのであるから、手形行為の無権代理に基づく損害としては、前記認定にかかる原告が現実に出捐した割引金の金額以上に出るものではないものと解すべきである。
3 弁論の全趣旨によれば、原告は、別紙約束手形目録(22)記載の約束手形の満期(昭和五五年七月二一日)の時点において、被告に対して右手形の被告東京営業所所長井下名義の裏書は被告の裏書として有効であると主張していたにもかかわらず、原告は、右手形を支払呈示期間内に支払のため支払場所に呈示することを怠り、支払呈示期間経過後の昭和五五年九月二〇日に右手形を呈示したことが認められる。
およそ支払拒絶証書の作成を免除した約束手形の裏書人に対する遡求権の発生は、約束手形を支払呈示期間内に支払のため支払場所に呈示することが要件になるものであるところ、右事実によれば原告は、適法な呈示をしなかったのであるから、仮に井下に被告を代理して手形の裏書をする権限があった場各においても右手形に基づく被告に対する遡求権を取得しないものである。他方民法七一五条に基づく手形裏書行為の無権代理人の使用者に対する損害賠償請求権は、実質的には遡求権を取得できなかった手形の善意の第三取得者に対してその損害を補填し遡求権を取得した場合とほぼ同様の利益を得させるべき機能を果たしているのであるから、前記裏書権限があった場合との対比においても原告が満期において支払呈示期間内に支払のため支払場所に呈示することを怠った手形について井下の右手形の裏書の無権代理行為に基づく損害賠償請求を認め得べき理由はなく、結局、右行為と原告主張の右手形についての割引金と同額の損害との間に因果関係はないものというべきである。
したがって、原告の右手形についての予備的請求は、理由がない。
4 以上によれば、被告の従業員井下の違法行為によって原告が被った損害額は、金一億一五三八万二三一三円となる。
八 原告の過失について検討する。
1 本件各手形の被告名義の裏書の記載が「オーツカ株式会社東京営業所所長井下雅夫」となっていること、原告は手形割引業者であること、原告は本件各手形の割引にあたり被告に信用の基礎をおいていたこと、一般に会社において代表権のない者に手形行為をする代理権が授与される例は少なく、したがって、現実に流通する手形についても営業所所長名義の手形行為がされていることは少ないのであるから、営業所所長名義で手形行為がなされている場合にはその旨の権限授与があったかどうかについて調査すべき必要があるとすることは手形割引業者の常識であるともいえ現に原告内部においてはそのような調査をするように指導がなされていたこと、ましてや本件においては原告は被告代表者振出名義の手形を継続的に多数割り引いていたのであるから、それとの対比においても本件各手形の被告東京営業所所長井下名義の裏書に何らかの疑問を抱くべきであったこと、原告には井下や被告本社に対して井下の権限を確認する機会は数多くあり、原告にとって被告本社に右確認をすることは容易であったと推認されること、原告は、被告とビートル間の裏書の原因関係については特段の調査をしなかったと推認されること、原告がビートルから割り引いた被告東京営業所所長井下名義の裏書のある手形の金額は、昭和五〇年一二月から昭和五五年二月までの四年余りの間に約一〇億円にのぼり、昭和五二年には約一億六〇〇〇万円、昭和五三年には約一億八〇〇〇万円(この二年間においては月平均約一四〇〇万円。)、昭和五四年には約五億二〇〇〇万円(同年の上半期には約一億九〇〇〇万円で月平均約三二〇〇万円、下半期には約三億三〇〇〇万円で月平均約五五〇〇万円。)に及ぶのであって、この金額自体がビートル及び被告東京営業所の営業の実情や外観からみても右両者間の取引高としては多額にすぎ、一営業所長がかかる大きな権限を有しているかどうかについては、当然、疑問を抱いて然るべきであること、しかも、右割引高が昭和五四年の上半期には昭和五三年までの二倍以上、下半期には昭和五三年までの約四倍と急激な増加を示しており、昭和五四年度の割引高の合計額は、被告東京営業所の一年間の売上高を超えるほどのものであること、本件各手形はこのように割引高が急増した昭和五四年九月から昭和五五年二月までの間になされていることを考え併せると、原告には、被告の経理担当者に問い合わせるなどの確実な方法で井下の裏書権限を確認すべき高度の注意義務があったというべきであり、それにもかかわらず原告が何ら右確認をしなかったことは原告の過失であるといわざるをえない。そして本件においては、営業所所長名義の裏書であることや割引高の高額さ及びその推移などの点から考えて、原告の過失は軽微なものとは言い難い。
しかし、本件においては、被告においても、井下が、四年以上の長期間にわたり、多数の手形に無権限で裏書をしたり、架空の左右取引をねつ造して被告本社に代表者振出名義の手形をビートル宛に振り出させたりしたことを看過していたものであり、また、原告が割り引いた被告東京営業所所長井下名義の裏書のある手形が不渡になった時、原告は井下に買戻を要求し、井下はこれに応じ、その際井下の手形裏書権限については何ら問題とされなかったもので、これは、原告にとって井下に手形裏書権限があると信頼すべき外観をかたち作るものであること、原告は被告が信用のある会社であることを知っていたことなど、原告が井下に手形裏書権限があると信ずることも無理からぬことと解される事情も認められる。
以上によれば、前記諸事情をもってしても、井下の手形裏書権限の不存在を原告が極めて容易に認識することができたものとは認められず、原告に故意に準ずる程度の注意の欠缺があり公平の見地上原告にまったく保護を与えないことが相当と認められる状態にあったということはできないから、原告の過失を重大な過失ということはできないものというべきである。
2 ところで、被告は、明示的には過失相殺を求めていないが、当裁判所は、被告主張の抗弁事実に基づき、原告の損害の発生について原告の前記過失を斟酌し、本件に顕われたすべての事情を考慮して過失相殺をするのが相当であると思料するので、この点についてさらに検討するに、本件に顕われたすべての事情を考慮すると、損害の発生に対する原告の過失割合は七割と認めるのが相当である。
したがって、被告は、原告に対し右損害額の三割に相当する三四六一万四六九三円の賠償義務を負うものというべきである。
(結論)
九 以上によれば、原告の主位的請求は理由がないからこれを棄却することとし、予備的請求は三四六一万四六九三円及びうち一四八六万八四八一円に対する損害発生以後の日である昭和五六年六月六日から、うち一一五一万一八九六円に対する損害発生以後の日である同年一一月一七日から、うち八二三万四三一六円に対する損害発生以後の日である昭和五七年四月二〇日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容することとし、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条本文、八九条の規定を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項の規定をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 村重慶一 裁判官 梅津和宏 野山宏)
<以下省略>